2009'06.28 (Sun) 20:37
私は、落語が好きというよりも、立川志の輔さんの志の輔らくごのファンである。だから、寄席の方にはなかなかいかず、独演会の方に時間があるときはちょいちょい行っていた時期がある。今は、志の輔さんもだいぶ出世したようで、チケットがとりにくくなっていてCDやDVDで楽しんでいたりする。
志の輔さんの落語のまくらも楽しみで、アメリカンジョークというのも取り入れたりもしている。
ある大型船が沈もうとしたときに、船長がいろんな国の人が乗っていてなんとか男性は海の中に飛び込んでもらわないと船が沈むんで、できれば海の中に飛び込んでもらいたいという話で各国の方に言ういい方がその国ごとに違うというものがある。
アメリカの人たちには、「恐れ入ります、今貴方が飛び込むと‘英雄‘になれますよ!」てなことを言うとアメリカ人はバーッと飛び込んだそうです。
フランスの人たちには「今、飛び込むと、‘モテます‘よ!」というとダーッと飛び込んだそうです。
(小笑)
イギリスの人たちには「今、飛び込むとあなた‘紳士‘ですよ!」というとダーッと飛び込んだそうです。
ドイツ人には「飛び込む‘規則‘になってます!」というとダーッと飛び込む。(笑)
残った日本人にはなんていうかというと、「あの〜、みなさん、そうなさってますよ。」というと「あ〜、そう!!」と飛び込むそうです。(大笑)
各家庭に、伺って在宅リハビリマッサージをやらしてもらってると患者さんの生きてきたいろいろな苦労話や今現在の生活の話、人間関係などご自分のことなどいろんなことを話して頂く。
ある女性の患者さんは
「夫の浮気からのストレスから自分の頭がおかしくなった時期もあったのよ、今は別居して何にもだんなのことを考えなくなったけど。裁判が長引いていて。」とかおっしゃっていたり、「今度、息子の嫁に来た女が常識しらずで注意したら、反撃にあった。」とか、「自分なんか、こんな体になっちゃったんでもう生きていてもしょうがないと思うの・・・先生どう思う?」とか「なんの楽しみもなくなっちゃって…先生どう思う?」
とか、とにかくネガティブなご自分の話を毎回される方がいまして、ただその方が唯一楽しみ(?)かどうかはわからないが日常生活にAMラジオを聴くという習慣がある。
施術しているときは、ご本人が自主的にラジオは切るのでラジオファンというのは最初はわからなかったんですが。
AMラジオというメディアは私は実は大好きなメディアなのでそこで、お互いに聞いている共通のある番組の話題がでたときにそのネガティブな部分が消える瞬間があった。
そして、話題をなんとか明るい方に、もっていきたいので自分がなぜAMラジオが好きなのかをその方に話すと、その方が「先生は、なぜ文化放送中心に聞いているの?」と聞いてきた。
「だいぶ前になるが午前中にすごいガラガラ声でさわやかとは全く正反対な感じで、おは〜よう ございます と疲れがそのまんま伝わってくる声がラジオから聞こえてきたことがあって、それが自分の中では非常に面白くてハマりました。
それが、立川志の輔さんという落語家さんなんですよ。」と話した。
「ふーん、落語家・・・・。」
「落語って難しいんでしょ?」と聞いてきたので「志の輔落語は難しくないですよ、今度CD‐Rもって来ましょうか?」
「うーん・・・、先生が覚えてたらでいいわ。」とあまり、乗り気ではなかったんです。
翌週、その方の施術後に「はい、志の輔落語もってきましたから、1回聞いてみてください。」と渡すととりあえずみたいな顔で受け取ってくれました。
からすかあで、夜が明けて・・・(ち、違いますこれは、落語の日にちを変える言葉でした。)
またその翌週にその方の家に行くと、その方がすごくうれしそうな顔で「先生、落語っていいね、もう何度も何度も聞いたよ。ちっとも難しくなかったよ。」と施術中、1回もネガティブな話もなく落語のどういう話し方がよかったとか、あそこが笑えたとかずっとしゃべっていました。
「じゃあ、来週は古典ではなく新作というものをもってきますよ。」というと「楽しみにして待ってる!」と言って今では、その方に毎週なにかしら、落語のCD‐R持っていくようになりました。毎週毎週楽しみに待っていてくれています。
(施術が楽しみ!!というわけではないのかなあ・・・少し複雑・・・・?。)
その方の一番好きな落語が志の輔らくごの「みどりの窓口」だそうです。
ストレスが一番ありそうな人が一番ストレスを受けてる人の内容の噺を好むっていうのも面白いなあ!!って思いますね。 機会があったら、ぜひ。
今回、オチだけ「切符の入ってる箱をあけなかったからだ!!」 ドドン!!
志の輔さんの落語のまくらも楽しみで、アメリカンジョークというのも取り入れたりもしている。
ある大型船が沈もうとしたときに、船長がいろんな国の人が乗っていてなんとか男性は海の中に飛び込んでもらわないと船が沈むんで、できれば海の中に飛び込んでもらいたいという話で各国の方に言ういい方がその国ごとに違うというものがある。
アメリカの人たちには、「恐れ入ります、今貴方が飛び込むと‘英雄‘になれますよ!」てなことを言うとアメリカ人はバーッと飛び込んだそうです。
フランスの人たちには「今、飛び込むと、‘モテます‘よ!」というとダーッと飛び込んだそうです。
(小笑)
イギリスの人たちには「今、飛び込むとあなた‘紳士‘ですよ!」というとダーッと飛び込んだそうです。
ドイツ人には「飛び込む‘規則‘になってます!」というとダーッと飛び込む。(笑)
残った日本人にはなんていうかというと、「あの〜、みなさん、そうなさってますよ。」というと「あ〜、そう!!」と飛び込むそうです。(大笑)
各家庭に、伺って在宅リハビリマッサージをやらしてもらってると患者さんの生きてきたいろいろな苦労話や今現在の生活の話、人間関係などご自分のことなどいろんなことを話して頂く。
ある女性の患者さんは
「夫の浮気からのストレスから自分の頭がおかしくなった時期もあったのよ、今は別居して何にもだんなのことを考えなくなったけど。裁判が長引いていて。」とかおっしゃっていたり、「今度、息子の嫁に来た女が常識しらずで注意したら、反撃にあった。」とか、「自分なんか、こんな体になっちゃったんでもう生きていてもしょうがないと思うの・・・先生どう思う?」とか「なんの楽しみもなくなっちゃって…先生どう思う?」
とか、とにかくネガティブなご自分の話を毎回される方がいまして、ただその方が唯一楽しみ(?)かどうかはわからないが日常生活にAMラジオを聴くという習慣がある。
施術しているときは、ご本人が自主的にラジオは切るのでラジオファンというのは最初はわからなかったんですが。
AMラジオというメディアは私は実は大好きなメディアなのでそこで、お互いに聞いている共通のある番組の話題がでたときにそのネガティブな部分が消える瞬間があった。
そして、話題をなんとか明るい方に、もっていきたいので自分がなぜAMラジオが好きなのかをその方に話すと、その方が「先生は、なぜ文化放送中心に聞いているの?」と聞いてきた。
「だいぶ前になるが午前中にすごいガラガラ声でさわやかとは全く正反対な感じで、おは〜よう ございます と疲れがそのまんま伝わってくる声がラジオから聞こえてきたことがあって、それが自分の中では非常に面白くてハマりました。
それが、立川志の輔さんという落語家さんなんですよ。」と話した。
「ふーん、落語家・・・・。」
「落語って難しいんでしょ?」と聞いてきたので「志の輔落語は難しくないですよ、今度CD‐Rもって来ましょうか?」
「うーん・・・、先生が覚えてたらでいいわ。」とあまり、乗り気ではなかったんです。
翌週、その方の施術後に「はい、志の輔落語もってきましたから、1回聞いてみてください。」と渡すととりあえずみたいな顔で受け取ってくれました。
からすかあで、夜が明けて・・・(ち、違いますこれは、落語の日にちを変える言葉でした。)
またその翌週にその方の家に行くと、その方がすごくうれしそうな顔で「先生、落語っていいね、もう何度も何度も聞いたよ。ちっとも難しくなかったよ。」と施術中、1回もネガティブな話もなく落語のどういう話し方がよかったとか、あそこが笑えたとかずっとしゃべっていました。
「じゃあ、来週は古典ではなく新作というものをもってきますよ。」というと「楽しみにして待ってる!」と言って今では、その方に毎週なにかしら、落語のCD‐R持っていくようになりました。毎週毎週楽しみに待っていてくれています。
(施術が楽しみ!!というわけではないのかなあ・・・少し複雑・・・・?。)
その方の一番好きな落語が志の輔らくごの「みどりの窓口」だそうです。
ストレスが一番ありそうな人が一番ストレスを受けてる人の内容の噺を好むっていうのも面白いなあ!!って思いますね。 機会があったら、ぜひ。
今回、オチだけ「切符の入ってる箱をあけなかったからだ!!」 ドドン!!
2009'06.14 (Sun) 21:25
先週、認知症の方のことを考えるセミナーに、わが在宅リハビリマッサージの面々と参加してきた。ケアマネ、ヘルパー、医者、看護師、薬剤師、介護者、在宅にかかわる出版社のかたもいたり、いろいろなアプローチで取り組んでいる方々と話し合いができたことはとても興味深いセミナーだった。
話し合いの中でよく出てきたお薬「アリセプト」に関しての処方についてもお医者さんからの意見がだされていて、テーマとしては少し専門的だったような気もするかな・・・。
認知症の症状によってアロマが進行をおくらすという1例も出ていた。会場のロビーにこのアロマの何例かいくつかおいてあって各グループごとにそのアロマのにおいを試し嗅ぎのようなものをやっていた。正直いいにおいなのか、よくわからなかったが効果が出ればいいなあとは思った。
私の施術している患者さんの中にも認知症の方は何人かいて、介護している状況を考えると、アロマを使うといいですよとは、なかなかいいにくいものがある。いつか、介護者が少しでも元気なときに「アロマもいいみたいですよ。」と言える日が来るといいなあと思う。
においと言うと、むしろ施術中によく嗅ぐにおいといえば、あちらのガスのにおいである。
ある患者さんは、施術中よく叫んでいるのだが、その叫びの一休みのような時に出してくる。
また、ある患者さんはリハビリ中、力を入れる度にガスが出る。たいがい、女性の方が多いので一瞬間もあくのだが、何事もなかったように施術は続ける。力んで出るのは正常なんだから。
落語、天失気より
あるところの住職。
知ったかぶりで負けず嫌いだから、知らないことを認めたがらない。
ある日、下腹が張って医者を呼んだ時「てんしきはありますか?」
と聞かれ、わからないとは言えないのでしかたなく「はい」と答えてしまった。
悔しいので小僧の善長に「花屋に行って爺さんに、てんしきを借りてこい。
もしなかったら隠居のところに行け」と、言いつける。
花屋も何だかわからないが、これも同じように負けず嫌いなので「惜しいことをした。この間二つ三つあったが、もう温かくなってあんまり使わないから、親類に貸してしまった」と、ごまかす。
隠居の家に行くと、これも知らない。
「いらないものだから台所の隅に放っておいたが、鼠が棚から落として掃きために捨ててしまったよ」
しかたなく帰って和尚に報告したが、善長も気になって「和尚さん、その『てんしき』って何ですか? 見たことがありません」
和尚は返答に困るが、「ばか野郎。そんなことを知らないでどうする。わしが教えてやるのはわけはないが、おまえは遊びにばかり気がいって、すぐ忘れてしまう。先生のところに薬を取りに行って、
自分の腹から出たようにちょっと聞いてこい」と、送りだす。
医者
「『てんしき』というのは傷寒論の中にある。転び失う気と書いて転失気だ。オナラのことだよ」
「オナラってのは何です? どういう形で?」「形はない。屁のことだ」
「屁ってえと、あのプープー、へえ、あれのことですか」
これで、和尚も花屋も隠居も、知らないでゴマかしたことがばれたが、
善長、和尚に言っても逆に説教を食うと思うから、嘘をつくことにした。
・・・・・・オチは、落語を聞いてください。
BOO!! BOO!!
話し合いの中でよく出てきたお薬「アリセプト」に関しての処方についてもお医者さんからの意見がだされていて、テーマとしては少し専門的だったような気もするかな・・・。
認知症の症状によってアロマが進行をおくらすという1例も出ていた。会場のロビーにこのアロマの何例かいくつかおいてあって各グループごとにそのアロマのにおいを試し嗅ぎのようなものをやっていた。正直いいにおいなのか、よくわからなかったが効果が出ればいいなあとは思った。
私の施術している患者さんの中にも認知症の方は何人かいて、介護している状況を考えると、アロマを使うといいですよとは、なかなかいいにくいものがある。いつか、介護者が少しでも元気なときに「アロマもいいみたいですよ。」と言える日が来るといいなあと思う。
においと言うと、むしろ施術中によく嗅ぐにおいといえば、あちらのガスのにおいである。
ある患者さんは、施術中よく叫んでいるのだが、その叫びの一休みのような時に出してくる。
また、ある患者さんはリハビリ中、力を入れる度にガスが出る。たいがい、女性の方が多いので一瞬間もあくのだが、何事もなかったように施術は続ける。力んで出るのは正常なんだから。
落語、天失気より
あるところの住職。
知ったかぶりで負けず嫌いだから、知らないことを認めたがらない。
ある日、下腹が張って医者を呼んだ時「てんしきはありますか?」
と聞かれ、わからないとは言えないのでしかたなく「はい」と答えてしまった。
悔しいので小僧の善長に「花屋に行って爺さんに、てんしきを借りてこい。
もしなかったら隠居のところに行け」と、言いつける。
花屋も何だかわからないが、これも同じように負けず嫌いなので「惜しいことをした。この間二つ三つあったが、もう温かくなってあんまり使わないから、親類に貸してしまった」と、ごまかす。
隠居の家に行くと、これも知らない。
「いらないものだから台所の隅に放っておいたが、鼠が棚から落として掃きために捨ててしまったよ」
しかたなく帰って和尚に報告したが、善長も気になって「和尚さん、その『てんしき』って何ですか? 見たことがありません」
和尚は返答に困るが、「ばか野郎。そんなことを知らないでどうする。わしが教えてやるのはわけはないが、おまえは遊びにばかり気がいって、すぐ忘れてしまう。先生のところに薬を取りに行って、
自分の腹から出たようにちょっと聞いてこい」と、送りだす。
医者
「『てんしき』というのは傷寒論の中にある。転び失う気と書いて転失気だ。オナラのことだよ」
「オナラってのは何です? どういう形で?」「形はない。屁のことだ」
「屁ってえと、あのプープー、へえ、あれのことですか」
これで、和尚も花屋も隠居も、知らないでゴマかしたことがばれたが、
善長、和尚に言っても逆に説教を食うと思うから、嘘をつくことにした。
・・・・・・オチは、落語を聞いてください。
BOO!! BOO!!
2009'05.31 (Sun) 22:38
新人くんたちが、働いてようやっと2か月になる。自分らがおかれている在宅リハビリマッサージというものがいったいどういった位置にあって、何を求められていて、何ができるのか、また、他社の存在というのも気になってくる頃だろうと思う。
私がいわゆる営業活動に力を入れていたころは、(それまで、営業活動などしたことがなかったのでけっこう難しいなあと感じてやっていました。)
全く、見ず知らずのケアマネージャーさんのところに、飛び込みで自分の仕事をアピールし、なんとか患者さんを紹介してほしいというメッセージを残していく日々が続いた。
その結果、患者さんを紹介してもらうことはしてもらったものの、膵臓ガンや肝臓ガンの末期の方たちいわゆるターミナル、ホスピスケアの方が連続で続き、単純に患者さんを紹介されたことにうれしいとは思えず、大変な現場に来てしまったなあとなんとも複雑な思いですごしていた。
ただいわゆる営業活動も数をこなしていくうちに、口の方から勝手に言葉が出てきて、だんだん流暢にまるで、すべての病気がよい方向にいくようなセリフとしての言い回しと申しましょうか、そういったものになっていったように思う。
今から思えばかなり、うすっぺらい内容をケアマネージャーさんにお話していた自分を恥ずかしくもあり、それでもその期間があったからこそ、介護の世界における在宅リハビリマッサージというものの存在価値をアピールするという根底ができているのだと思う。
そのころの、私の説明を落語の「居酒屋」の小僧さんをからかうようなケアマネさんは一人もいなかったことがあの頃の救いだったなあ・・・。
すべての新人くんたち、ふんばりどきだよ!!!
落語居酒屋より、抜粋
肴は何ができると聞かれて、小僧が早口でへえい、できますものは、
けんちん、おしたし、鱈昆布、あんこうのようなもの、
鰤(ぶり)にお芋に酢蛸でございます、へえーい」と答えるのが
面白いと言って、
「今言ったのは何でもできるか?」
「そうです」
「それじゃ『ようなもの』ってのを一人前持ってこい」
今はいるのかなあ、こういったからかい口調のケアマネさんが・・・。
私がいわゆる営業活動に力を入れていたころは、(それまで、営業活動などしたことがなかったのでけっこう難しいなあと感じてやっていました。)
全く、見ず知らずのケアマネージャーさんのところに、飛び込みで自分の仕事をアピールし、なんとか患者さんを紹介してほしいというメッセージを残していく日々が続いた。
その結果、患者さんを紹介してもらうことはしてもらったものの、膵臓ガンや肝臓ガンの末期の方たちいわゆるターミナル、ホスピスケアの方が連続で続き、単純に患者さんを紹介されたことにうれしいとは思えず、大変な現場に来てしまったなあとなんとも複雑な思いですごしていた。
ただいわゆる営業活動も数をこなしていくうちに、口の方から勝手に言葉が出てきて、だんだん流暢にまるで、すべての病気がよい方向にいくようなセリフとしての言い回しと申しましょうか、そういったものになっていったように思う。
今から思えばかなり、うすっぺらい内容をケアマネージャーさんにお話していた自分を恥ずかしくもあり、それでもその期間があったからこそ、介護の世界における在宅リハビリマッサージというものの存在価値をアピールするという根底ができているのだと思う。
そのころの、私の説明を落語の「居酒屋」の小僧さんをからかうようなケアマネさんは一人もいなかったことがあの頃の救いだったなあ・・・。
すべての新人くんたち、ふんばりどきだよ!!!
落語居酒屋より、抜粋
肴は何ができると聞かれて、小僧が早口でへえい、できますものは、
けんちん、おしたし、鱈昆布、あんこうのようなもの、
鰤(ぶり)にお芋に酢蛸でございます、へえーい」と答えるのが
面白いと言って、
「今言ったのは何でもできるか?」
「そうです」
「それじゃ『ようなもの』ってのを一人前持ってこい」
今はいるのかなあ、こういったからかい口調のケアマネさんが・・・。
2009'05.17 (Sun) 21:01
昨日は、私が行っている介護住宅の開設2周年だった。2年間とはいえ、人間の命を預かる施設、スタッフのがんばりも伝わってきてますよ、おめでとうございます。
あと、ナースののり様、同意書、再同意書の件いつも医者の先生に気づかって頂いてありがとうございます。ここ以外でも、同意書に関しては、お医者様の考え方によってはなかなか同意して頂けないこともあって新人のマッサージの先生たちも、苦労しているようです。
だから、本来は私らが医者の先生にお願いしなけらばいけないデリケートゾーンにナースののり様が間に入ってくれることはすごくありがたいと本当に感謝していますよ。
ちなみに、すごくかわいい人で大好きです。
昨日も、2周年のパーティーに私の施術を受けている患者さんが参加している様子を教えて頂いてくれていたんですが、なにせ夕方からやる品川接骨院グループの勉強会の発表会のネタを頭の中でぐるぐるまわっていたもんで、空返事になってしまい、後から考えて申し訳ないことしたなあと少し反省しています。
そんなこんなで、品川接骨院グループでは各院の先生方がその院ごとにテーマをきめて勉強をして、それらをグループの先生方の前で発表するという勉強会というものを1か月に1回行っています。
今回は、在宅リハビリマッサージ事業部が発表の担当になった。
新人の先生方には、まず、私らがこのグループの中でどういうシステムで存在していて、何をやっているのかを接骨院の先生に説明したり(室ちゃんがんばってますよ、後輩のみんな、よかったら声援のメールでも送ってあげてね)、在宅に多い疾患などを調べて実際の現場とのかかわり方を発表していた。(みんな、緊張しながらもよく調べあげて発表してくれていました。よかったですよ。ただ、ちょいちょい、私の名前が出てくるのが恥ずかしくもあったのですが・・・)
まあ、そんな中で私の発表になったのですが、進行のイニシャルD先生には介護の中の人間関係の立ち位置のことを発表する運びとなってたのですが、まあこれはおいおい、このブログでも書いていくことだから、自分が最近気になっていることを発表させてもらいました。
D先生のまとめた最後の文章も非常によかったと思います、本当はそれも載せようかなと思ったんですがあまりに、長くなりすぎそうなのでまたいつか載せたいと思っております。
以下が私の発表です。
私のテーマは、誉めるといういうこと、だらだら生きていてもいいということ。です。
みなさんは、日本での自殺者が年間どのくらいいるかご存じでしょうか?
一般には約3万人とも言われています。
実は水谷おさむさんがいうには、自殺統計の取り方が違うといっております。自殺統計をとっているのは警察庁と厚生労働省で、両方とも2万3千人ほどといわれています。死体がみつかった場合法務省の嘱託医が書く遺体検案書に自殺と書かれた場合と、病院や家庭でなくなった場合は医師が書く自殺診断を元に作成されているのですが、ほとんどの医師は薬をいっぱいのんで死んだ場合またはリストカットで死んだ場合は自殺と書かず、中毒死、事故死と書きます。
なぜなら、残された家族のこと、生命保険のからみがあり、遺書がない場合は自殺とは書かないそうです、だから実際は10万人くらい自殺している国だそうです。
90年代以降バブルがはじけていらい、弱者へ弱者へとストレスが向き小中学生に向かってずっとしかり続けるようになってしまったそうです。人はしかり続けられたらどうなるでしょう?
犬と同じで子犬をたたいてたたいて、しかり続けて育てたら、人をみたら、ふるえるか、かみつくか、そうふうになってしまいますよね。
そして、90年代以降この国はそれをやってきたそうです。
人が人として本来のやさしさをもてるゆとりがなくなってしまってきているそうです。自己肯定感がなくなってしまって誰にも認められてないのが原因にもなっていると考えられているようです。
自殺率は、傾向として大人の男性の方が多いようです。北山おさむさんはこういってます。男の死にざまとか、坂本竜馬のように死にたいとか死ぬときまでかっこつけようとするのが男性のようです。
男性はあんなふうに死ななければいけないとか桜のようにパッと散りたいとか、前向きに倒れてみたいとか、美しく死ぬ、あるいはいさぎよく死ぬ、死ぬことに物語を求めすぎていたりするようです。だから、死にゆく病、なかなか治りにくい病になるとすぐに、自殺のことを考えたりする、ちょっといらなくなったり、この社会から経済的にお前もう、ダメなんじゃないかとか、健康のことで追い詰められたりすると、もはや、死ぬしかないという物語が理想化されすぎている。例えば親戚の方が病気に かかって3日で亡くなったとする。そうすると、あのじいちゃんはえらかった。みんなに迷惑かけないで死んだとか言ったりする。病気にかかって何年もかかって死んでも何年もよくがんばったとはなかなか言ってくれない。病気にかかっていてもダラダラ生きていてもかまわない、みんなに迷惑をかけてもかまわない。もう少し生に執着して生きたい、生きたい私は死にたくないと叫んでいる人のこと語り伝えても良いのではないだろうか?とも思ったりもする。日本人の美学が自殺率上げたりしているようだ。
世界中の中でも豊かだと言われている日本の自殺率が高いのは、生き方への評価、美学がそうさせてるのかもしれない。ただし、それを簡単に変えられるとは思わない。
ただ、みんなと話し合うことはいいと思う。
また、この美学の中の言葉には、老醜をさらす、老兵は消え去るのみ、などもすりこめられたりもしている。
そして、今回なぜこのテーマをもってきたかというと、在宅でリハビリマッサージを受けられている患者さんには、病気にかかっていてもダラダラ生きていてもかまわない、みんなに迷惑をかけてもかまわないというのがベースにないと患者さんに対して、なぜこの人は生かされているんだろう?と思っていたら例えば、胃ろうでベットで寝た切り状態の人をマッサージするときなど、そんな接し方では自分のやっている施術は意味がないように思えてしまうかもしれない。
病気にかかっていてもみんあに迷惑かけてもかまわないというのがまず前提です。
最後に私の患者さん達は私のブログにも載せていますが、すごくリハビリ運動をがんばってくれています。なぜか?
それは、よーく患者さんのことを観察して誉めてあげるからです。これは、小中学生の自殺につながる生徒たちにも言えるのですが、しかられ続けながら、やりなさい、やらなきゃダメでしょ!
と言い続けられることこそ、つまらないものはありません。この間、整形外科に勤めてるマッサージの知り合いと話をすることができたのですが、そこに入ってる理学療法士がおばあちゃんに
むかって、この運動を40回家でやってる?やってないでしょ?やらなきゃ駄目だよ?やらなきゃ、よくならないよ!と言っていたそうです。
また、ある家のおばあちゃんは、家の人たちに歩け歩けといわれるそうです、歩け歩けといわれて楽しいわけがありません。もちろん、歩きません。
人が動くときは、やはり自分の存在を見てくれて、観察してくれて、ほめてくれるとやっとがんばろうという気になってくれます。「先生、この間ここまで歩いてきました。」「わー、すごいじゃないですか?」とほめながらもそこはプロの目でどこかに痛みは出てないだろうか?筋肉や間節は?と注意深く観察する。
自分のことを観察して、ほめてくれる人がいること、これは患者さんのみならず、今日来ている先生方みんなが好きなことにもつながるんじゃないでしょうか?
今日、お仕事をしてきて、さらに、勉強会にも熱心に出てこられる先生方全員すばらしいといったところで
私の話を終わりたいとおもいます。
と発表しました。みなさんお疲れさまでした。
ちなみに、ブログへのコメントや拍手は書くときに励みになります。読んで頂けましたら感じたこと書きこんでいただけるとうれしいなあという本音を書いておきますね。
あと、ナースののり様、同意書、再同意書の件いつも医者の先生に気づかって頂いてありがとうございます。ここ以外でも、同意書に関しては、お医者様の考え方によってはなかなか同意して頂けないこともあって新人のマッサージの先生たちも、苦労しているようです。
だから、本来は私らが医者の先生にお願いしなけらばいけないデリケートゾーンにナースののり様が間に入ってくれることはすごくありがたいと本当に感謝していますよ。
ちなみに、すごくかわいい人で大好きです。
昨日も、2周年のパーティーに私の施術を受けている患者さんが参加している様子を教えて頂いてくれていたんですが、なにせ夕方からやる品川接骨院グループの勉強会の発表会のネタを頭の中でぐるぐるまわっていたもんで、空返事になってしまい、後から考えて申し訳ないことしたなあと少し反省しています。
そんなこんなで、品川接骨院グループでは各院の先生方がその院ごとにテーマをきめて勉強をして、それらをグループの先生方の前で発表するという勉強会というものを1か月に1回行っています。
今回は、在宅リハビリマッサージ事業部が発表の担当になった。
新人の先生方には、まず、私らがこのグループの中でどういうシステムで存在していて、何をやっているのかを接骨院の先生に説明したり(室ちゃんがんばってますよ、後輩のみんな、よかったら声援のメールでも送ってあげてね)、在宅に多い疾患などを調べて実際の現場とのかかわり方を発表していた。(みんな、緊張しながらもよく調べあげて発表してくれていました。よかったですよ。ただ、ちょいちょい、私の名前が出てくるのが恥ずかしくもあったのですが・・・)
まあ、そんな中で私の発表になったのですが、進行のイニシャルD先生には介護の中の人間関係の立ち位置のことを発表する運びとなってたのですが、まあこれはおいおい、このブログでも書いていくことだから、自分が最近気になっていることを発表させてもらいました。
D先生のまとめた最後の文章も非常によかったと思います、本当はそれも載せようかなと思ったんですがあまりに、長くなりすぎそうなのでまたいつか載せたいと思っております。
以下が私の発表です。
私のテーマは、誉めるといういうこと、だらだら生きていてもいいということ。です。
みなさんは、日本での自殺者が年間どのくらいいるかご存じでしょうか?
一般には約3万人とも言われています。
実は水谷おさむさんがいうには、自殺統計の取り方が違うといっております。自殺統計をとっているのは警察庁と厚生労働省で、両方とも2万3千人ほどといわれています。死体がみつかった場合法務省の嘱託医が書く遺体検案書に自殺と書かれた場合と、病院や家庭でなくなった場合は医師が書く自殺診断を元に作成されているのですが、ほとんどの医師は薬をいっぱいのんで死んだ場合またはリストカットで死んだ場合は自殺と書かず、中毒死、事故死と書きます。
なぜなら、残された家族のこと、生命保険のからみがあり、遺書がない場合は自殺とは書かないそうです、だから実際は10万人くらい自殺している国だそうです。
90年代以降バブルがはじけていらい、弱者へ弱者へとストレスが向き小中学生に向かってずっとしかり続けるようになってしまったそうです。人はしかり続けられたらどうなるでしょう?
犬と同じで子犬をたたいてたたいて、しかり続けて育てたら、人をみたら、ふるえるか、かみつくか、そうふうになってしまいますよね。
そして、90年代以降この国はそれをやってきたそうです。
人が人として本来のやさしさをもてるゆとりがなくなってしまってきているそうです。自己肯定感がなくなってしまって誰にも認められてないのが原因にもなっていると考えられているようです。
自殺率は、傾向として大人の男性の方が多いようです。北山おさむさんはこういってます。男の死にざまとか、坂本竜馬のように死にたいとか死ぬときまでかっこつけようとするのが男性のようです。
男性はあんなふうに死ななければいけないとか桜のようにパッと散りたいとか、前向きに倒れてみたいとか、美しく死ぬ、あるいはいさぎよく死ぬ、死ぬことに物語を求めすぎていたりするようです。だから、死にゆく病、なかなか治りにくい病になるとすぐに、自殺のことを考えたりする、ちょっといらなくなったり、この社会から経済的にお前もう、ダメなんじゃないかとか、健康のことで追い詰められたりすると、もはや、死ぬしかないという物語が理想化されすぎている。例えば親戚の方が病気に かかって3日で亡くなったとする。そうすると、あのじいちゃんはえらかった。みんなに迷惑かけないで死んだとか言ったりする。病気にかかって何年もかかって死んでも何年もよくがんばったとはなかなか言ってくれない。病気にかかっていてもダラダラ生きていてもかまわない、みんなに迷惑をかけてもかまわない。もう少し生に執着して生きたい、生きたい私は死にたくないと叫んでいる人のこと語り伝えても良いのではないだろうか?とも思ったりもする。日本人の美学が自殺率上げたりしているようだ。
世界中の中でも豊かだと言われている日本の自殺率が高いのは、生き方への評価、美学がそうさせてるのかもしれない。ただし、それを簡単に変えられるとは思わない。
ただ、みんなと話し合うことはいいと思う。
また、この美学の中の言葉には、老醜をさらす、老兵は消え去るのみ、などもすりこめられたりもしている。
そして、今回なぜこのテーマをもってきたかというと、在宅でリハビリマッサージを受けられている患者さんには、病気にかかっていてもダラダラ生きていてもかまわない、みんなに迷惑をかけてもかまわないというのがベースにないと患者さんに対して、なぜこの人は生かされているんだろう?と思っていたら例えば、胃ろうでベットで寝た切り状態の人をマッサージするときなど、そんな接し方では自分のやっている施術は意味がないように思えてしまうかもしれない。
病気にかかっていてもみんあに迷惑かけてもかまわないというのがまず前提です。
最後に私の患者さん達は私のブログにも載せていますが、すごくリハビリ運動をがんばってくれています。なぜか?
それは、よーく患者さんのことを観察して誉めてあげるからです。これは、小中学生の自殺につながる生徒たちにも言えるのですが、しかられ続けながら、やりなさい、やらなきゃダメでしょ!
と言い続けられることこそ、つまらないものはありません。この間、整形外科に勤めてるマッサージの知り合いと話をすることができたのですが、そこに入ってる理学療法士がおばあちゃんに
むかって、この運動を40回家でやってる?やってないでしょ?やらなきゃ駄目だよ?やらなきゃ、よくならないよ!と言っていたそうです。
また、ある家のおばあちゃんは、家の人たちに歩け歩けといわれるそうです、歩け歩けといわれて楽しいわけがありません。もちろん、歩きません。
人が動くときは、やはり自分の存在を見てくれて、観察してくれて、ほめてくれるとやっとがんばろうという気になってくれます。「先生、この間ここまで歩いてきました。」「わー、すごいじゃないですか?」とほめながらもそこはプロの目でどこかに痛みは出てないだろうか?筋肉や間節は?と注意深く観察する。
自分のことを観察して、ほめてくれる人がいること、これは患者さんのみならず、今日来ている先生方みんなが好きなことにもつながるんじゃないでしょうか?
今日、お仕事をしてきて、さらに、勉強会にも熱心に出てこられる先生方全員すばらしいといったところで

私の話を終わりたいとおもいます。
と発表しました。みなさんお疲れさまでした。
ちなみに、ブログへのコメントや拍手は書くときに励みになります。読んで頂けましたら感じたこと書きこんでいただけるとうれしいなあという本音を書いておきますね。
2009'04.26 (Sun) 22:29
「先生、留守番電話聞いて頂けました?」
「はい、聞きましたよ。ポータブルトイレにとうとう一人で用をたせたんですね。よかったですね。Tさんがんばりましたね。」とTさんに話しかけるとにこにこ顔のTさんが私を迎えてくれた。
「でも、ここでホッとしないで今日もリハビリ運動がんばりましょう!!」そういって、その日の施術は開始された。
それから、2,3日たってから夜中にTさん、ポータブルトイレに行こうとしたさいに、床にしりもちをついてしまったそうだ。
その後、1週間たった位に娘さんに夜中のトイレ情報を聞いてみると、しりもちをついて以来一人でトイレに行くことを少しあきらめがちになってしまったと言っていました。
夜中に5,6回また、娘さんを電話で呼び出してトイレを手伝ってもらっているという。
これでは、また娘さんに負担がいってしまうなあ・・・・・・。
うーん、もう筋力もついてきたし、なんとかTさんのモチベーションをあげたいなあ。どうしようかなあ。
うーん、うーん、何かないかなあ・・・とバイクで移動しながらもずっと考えていた。
そして、ひらめいた!!
早速、時間が空いたときに百円ショップや文房具屋さんにいっていろいろ探しだした。
そう、Tさんにご褒美スタンプとシールをはれるノートを作ろう。
誰だって、何々やりなさいとか歩きなさいと言ってやらされることって全然おもしろくないはず。
ならば、何か出来たときにたくさんたくさんほめてくれることって、決してイヤなことじゃない。
むしろ、うれしいよね・・・・
ただし、プレッシャーを与えたりすることにもなるかもしれないことを十分注意しながらやってみようとノートを作った。
「今日は、私からプレゼントがあります。このノートをここに置かせてください。」と言って小学生用の連絡帳を渡した。
「このノートにこれから昨晩のトイレの様子をスタンプしていきます。誰かに手伝ってもらった場合は、

少しだけ手伝ってもらったらこれ、
そして、誰にも手伝わずに一人でポータブルトイレで出来た場合は、これ
を押していきます。そして、そのたびにいろんなシールを貼っていきますので、楽しみにしていてください。ただし、このノートは楽しむものであるので、あんまり気にしないでくださいね。」
と言って渡して、昨日の様子を聞いて早速「ごめんね」スタンプを5つおして、「ファイト!!」のシールを貼ってきた。
それを作ってからTさんのトイレへのモチベーションがグンっと上がった。もちろん、ほんの少ししかできなかったときにも、「あっ、ここまでできたんですかあ、すごいですねえ!!いいですよ!!」とほめ続けた。
2週間たったころには、ベリーグッドの花が咲いてきた。
その度に、新しいシールを文房具屋さんなどをまわって小学生に交じってなんかいいシールないかなあ?と探すのが楽しくもなってきた。
「娘さんに夜中寝れてますか?」と聞くと「あのノートを作ってくれて頂いた以来ほとんど母からの電話が無くなってきたんですよ。昨夜なんか薬のせいもあって10回ポータブルトイレに行ったみたいなんですけど、1回も母からかかってこないで朝までぐっすり寝れました。先生、今日もたくさんシールはってあげてくださいね!」
わかりました!!

この1週間後に娘さんから私も夜中ぐっすり眠れるようになったので、施設に預けてる父を呼び戻そうかしら?と言われたので、しばらくは、もう少し眠っていてくださいといった。
たぶん、来月には認知症のMさんも引き取ることになるだろう!そのときには、Mさんにもノートを作ってあげようと思っている。
存在を認めて、ほめられるという行為は、患者さんでなくても、利用者さんだけでもなく、介護者だけでもなく、ケアマネさんだけでもなく、ヘルパーさんだけでもなく、看護師だけでもなく、修業中の人だけでもなく、開業して経営に苦しんでいる人だけでもなく、3年生になって進路に迷ってる人だけでもなく、営業に回って頭を下げている人達だけでもなく、新しい仕事について迷ってる人だけでもなく、そう、人として本当にうれしいことなんだと思う。
みんなに、ベリーグッドです。!!
「はい、聞きましたよ。ポータブルトイレにとうとう一人で用をたせたんですね。よかったですね。Tさんがんばりましたね。」とTさんに話しかけるとにこにこ顔のTさんが私を迎えてくれた。
「でも、ここでホッとしないで今日もリハビリ運動がんばりましょう!!」そういって、その日の施術は開始された。
それから、2,3日たってから夜中にTさん、ポータブルトイレに行こうとしたさいに、床にしりもちをついてしまったそうだ。
その後、1週間たった位に娘さんに夜中のトイレ情報を聞いてみると、しりもちをついて以来一人でトイレに行くことを少しあきらめがちになってしまったと言っていました。
夜中に5,6回また、娘さんを電話で呼び出してトイレを手伝ってもらっているという。
これでは、また娘さんに負担がいってしまうなあ・・・・・・。
うーん、もう筋力もついてきたし、なんとかTさんのモチベーションをあげたいなあ。どうしようかなあ。
うーん、うーん、何かないかなあ・・・とバイクで移動しながらもずっと考えていた。
そして、ひらめいた!!
早速、時間が空いたときに百円ショップや文房具屋さんにいっていろいろ探しだした。
そう、Tさんにご褒美スタンプとシールをはれるノートを作ろう。
誰だって、何々やりなさいとか歩きなさいと言ってやらされることって全然おもしろくないはず。
ならば、何か出来たときにたくさんたくさんほめてくれることって、決してイヤなことじゃない。
むしろ、うれしいよね・・・・
ただし、プレッシャーを与えたりすることにもなるかもしれないことを十分注意しながらやってみようとノートを作った。
「今日は、私からプレゼントがあります。このノートをここに置かせてください。」と言って小学生用の連絡帳を渡した。
「このノートにこれから昨晩のトイレの様子をスタンプしていきます。誰かに手伝ってもらった場合は、

少しだけ手伝ってもらったらこれ、

そして、誰にも手伝わずに一人でポータブルトイレで出来た場合は、これ

を押していきます。そして、そのたびにいろんなシールを貼っていきますので、楽しみにしていてください。ただし、このノートは楽しむものであるので、あんまり気にしないでくださいね。」
と言って渡して、昨日の様子を聞いて早速「ごめんね」スタンプを5つおして、「ファイト!!」のシールを貼ってきた。
それを作ってからTさんのトイレへのモチベーションがグンっと上がった。もちろん、ほんの少ししかできなかったときにも、「あっ、ここまでできたんですかあ、すごいですねえ!!いいですよ!!」とほめ続けた。
2週間たったころには、ベリーグッドの花が咲いてきた。
その度に、新しいシールを文房具屋さんなどをまわって小学生に交じってなんかいいシールないかなあ?と探すのが楽しくもなってきた。
「娘さんに夜中寝れてますか?」と聞くと「あのノートを作ってくれて頂いた以来ほとんど母からの電話が無くなってきたんですよ。昨夜なんか薬のせいもあって10回ポータブルトイレに行ったみたいなんですけど、1回も母からかかってこないで朝までぐっすり寝れました。先生、今日もたくさんシールはってあげてくださいね!」
わかりました!!

この1週間後に娘さんから私も夜中ぐっすり眠れるようになったので、施設に預けてる父を呼び戻そうかしら?と言われたので、しばらくは、もう少し眠っていてくださいといった。
たぶん、来月には認知症のMさんも引き取ることになるだろう!そのときには、Mさんにもノートを作ってあげようと思っている。
存在を認めて、ほめられるという行為は、患者さんでなくても、利用者さんだけでもなく、介護者だけでもなく、ケアマネさんだけでもなく、ヘルパーさんだけでもなく、看護師だけでもなく、修業中の人だけでもなく、開業して経営に苦しんでいる人だけでもなく、3年生になって進路に迷ってる人だけでもなく、営業に回って頭を下げている人達だけでもなく、新しい仕事について迷ってる人だけでもなく、そう、人として本当にうれしいことなんだと思う。
みんなに、ベリーグッドです。!!






